別に死んでもいいやという適当さ

 

題の通り。

 

別に生きる事に執着しなくても良いのではないか。

 

白か黒かハッキリ分かる事物なんてそうそうないのだから、このモヤモヤとしたグレーな世界を認識して、その曖昧さを適当に流して生きていけば良いのではないか。

 

生きる事が素晴らしくて自殺するのは愚かだとか、そんな価値観はどうでもいい。生きてても死んでてもどうでもいい。

 

とりあえず今の所はそれで良いのではないだろうか。

 

何事も結論は急がない。

 

そんな思考に至っている20歳男性です。

 

お久しぶりの投稿です。

ヒトの世界

人生は自己満足

 

人の人生

 

私の人生

 

相容れない自己満足のすれ違い

 

私は(私の為に)周りの為に生きたい

 

人の人生をケアする余裕は流石にないし心が病む

 

私の私の為になる範囲に於いて他人の心配をし世話を焼きたい。

 

この範囲を超えたら愛なのであろうか? 

黙ってると得

 

ペラペラ喋りたがりの時の私は余裕がなかった。

 

良い出来事をほぼ全て友人に喋る。

 

まさにイキリオタクであった。

 

私は私にしか分からない人生を送っている。

 

何が普通で何がヤバイかなんて私とあなたでは基準が違うだろう。

 

ならば喋らなくて良いではないか。

ただ純粋に楽しい世間話をしよう。

 

誰かれ構わずグロテスクな人間の欲望の話なんぞしても人は離れていくのである。

 

私はグロテスクな事をペラペラ喋るのをやめ、楽しい会話をするように努めている。

 

するとどうだろう状況は変わってないのに何だか心に余裕が生まれるし、女の子との会話も弾むのである。

 

私しか知らない至福の出来事、私しか知らないあの子との会話、私しか知らない美味しいお店…etc

 

なんとも素敵ではないか!

 

なるほどコレが社会性というやつか。

 

共学1年目の終盤でようやく社会性を身につけることが出来たのかもしれない。

 

 

 

アブノーマル ノーマル

‪地方ってとても人間的に健康な生活送ってる人ばっかりで気が狂いそう‬。


‪ホームレスは1人もいないし、間違って俺を歌舞伎町のホストにスカウトしてくる如何にも薬キメてそうな歯無し金髪チンピラもいないし、クソ寒いストリートでカタコトで円光持ちかけてくる胸元はだけだアジアン‬‪女もいない。

 

 

週末は愛する人と商業地で楽しく週末を過ごす。

 

(もちろん家に引きこもってる方も大勢いらっしゃるのであろうが。)

 

地方下宿一年目が終わろうとしているなか、私は普通になろうとするあまり自らを苦しめていたのだと感じる。

 

 

平凡とは何であろうか?

普通とは何であろうか?

 

ようやく来週、我が故郷、帝都アブノーマルに帰れるのだ。幸せだ。

 

電通

 

世の中の広告に踊らされてる愚民

 

私だ。

 

下らないさね、資本主義。

 

おやすみなさい。