久しぶりの大学

今日は大学の成績交付日でした。

授業は10月から。

 

不可が一つあった。ははは。

でも必修科目じゃないからセーフ。

 

大学の友達にも久々に会った。

 

東京、神奈川、富山、福井、愛知、岐阜、長野、千葉と色んな場所に遊びに行ったけど、なんだか孤独な夏休みだった。

 

一緒にいたのが家族だったり中高の友達だった。

 

もちろん楽しかった。

 

でも私は今、大学という所属がある。

 

現在のコミュニティ(大学の友達)との関わりが薄い夏休みだった。

 

そういう意味で孤独な夏休みだった。

 

私だけ高校時代で時間が止まっているようで寂しい気持ちになった。

 

こんな心情になるのには気温や天候も関係しているのだと思う。

 

果たして私は北陸の冬に耐えられるのか、後期でGPAは少しはマトモになるのか、乞うご期待。

 

Facebookと語らぬ嘘

Facebookと学歴。

 

自分の周りのアクティブユーザーはだいたい旧帝、早慶、上中位国公立、マーチの人間。

 

受験失敗した人は大学進学を機に更新が止まったりしてたりする。結局何が起きたのか分からないまま音信不通になる。

 

これが”語らぬ嘘”。

自分の挫折や失敗といった事実を話さず消えてしまう。

 

 

 

Facebookとは一般的にポジティブな情報を発信する場である。

 

キラキラリア充ワールドだ。

  

そんな世界で一人、受験に失敗した報告なんて出来るわけないのだ。

 

 

いまキラキラ発信している人にも必ず苦境は訪れる。

その時彼らはどうするのか?

黙ってフェードアウトするのか?

挫折や失敗をもストーリに昇華させるのか?

 

私は怖くなってFacebookを退会した。

 

難しい時代だ。

大変だ。

 

何もせず、今日という1日を終わらせてしまった。

 

何もせず1日が終わるって逆に難しいし、むしろ達成感がある。(意味不明)

現実

どうも火曜全休ゆとり大学生です。

 

ここ数年で「人生って実は大したことないのでは?」と思うようになったのでそれについて。

 

例えば

 

京都ってすべてが『京都京都してる』と思っていたのに実はほぼ住宅地だったとか、

 

東京ってすべてが渋谷や表参道だと思ってたり、さぞ洗練された人々が行きかう街だとか思ってたりしたのに、別に普通のオジサンオバサンやイモッこい若者がどこにでもあるようなアパートに住んでいるとか、

 

猫が大好きなのに触れ合ってみれば猫アレルギーだったとか、

 

などなど…

 

人間に与えられた『想像力』と『言葉』は現実世界を大きく凌駕する力を持っています。

 

あまりにもパッケージ(言葉や理想)が立派過ぎるので蓋を開けた時の中身(現実)がショボくて辟易としたり絶望したりするわけですね。

 

 

『人生つまらない』っていう人は想像力が豊かなだけだと思うのです。

 

楽しいと感じている人が何か特別な体験や能力を持っているわけではなく、単にその人の楽しいと感じる基準が低いだけなのです。

 

そりゃ同じ人間なんですもん。

どこまでいっても人間なんですもん。

一部のスーパースター除いて人生なんて大差ないですよ。

 

みんな何かしら欠けている物足りない人生なんだと思いますよ。

 

では。

 

センター直前期

センターまで8日という事で

 

浪人生活を振り返って見ると色々ありました

 

この生活を1言で言うならば

 

妥協と遠回り

 

でした。

 

 

 

元々理系で医学部を目指していましたが

志望理由も 

なんとなく親もやってるし資格があれば食っていけるだろう

みたいな感じのふわふわした感じでしたし

そもそも学力が足りないし

補うための必死の努力が出来るわけでもなく

結局文系寄りの学部を検討して

今に至ると。。。

 

 

まあ浪人しても殆ど学力が変わらない典型例みたいな感じの一年でした。

 

 

 

質が悪いことに僕は頭が悪いのにプライドが高く

推薦とかマグレ臭い合格した同級生を妬んだり

挙句は満員電車内のおっさんに腹を立てたり

新宿でチャラついた若者にもイラついたりして

駿台で騒がしい奴らに舌打ちしたり

 

スルーしても良いことに一々突っかかってしまいました

 

とにかく周りが気になって

何か自分より下の者を見て自分の価値を確認したい欲に駆られながら

陰鬱とした気持ちで予備校に通いました。

 

自己嫌悪が酷くなったと思います

 

親は苦悩は人生の肥やしになると言ってくれはしますが

 

ただ心が荒んだだけ一年間だったと思います

 

 

強いて教訓になり得るものがあるとするならば

 

”とても敵わない人間が沢山いる”

ということが分かったことでしょうか

自分と比べても仕方ないことが多々あった一年でした

 

出来ない自分を認めてあげるのが一番の得策なのではないでしょうか?

 

人が鳥を見て「あぁ自分は空飛べないじゃん…」みたいな劣等感を感じませんよね。

 

人と鳥は違う生き物だから、そもそも比べようなんて思わないわけです。

 

そういう意味では出来る人というのは並外れた努力や才能含め鳥なのかもしれません

 

というか優劣関係なく人間を同じ生き物として捉えるのが間違いなのでしょうね

 

生物的には同種でもあなたと私は全く違う生き物だという認識を早く持つべきでした。

 

他人との比較の中で自分の価値を見出だしてきたのでフルボッコにされる浪人生活はなんとも辛い1年でした。

 

これからは受験結果に関わらず自分という存在に重きをおけるよう努めていきたいと思いました。

 

 

ということで読んでくれてありがとうございました。